タイトル

赤川次郎の幽霊列車 FC AVG

原作:赤川次郎、画:わたせせいぞう、音楽:すぎやまこういち・・・。それぞれの道を極めし豪華絢爛なメンバーが集まった。

す、すばらしい、これはもう神ゲー確定。 もはやなにをか言わんやである。

・・・ん?まて、メーカーは・・・

キングレコードか・・・。

これら国宝級の名人達を・・・ファミコン界で様々な痴態を演じてきたメーカーでやってしまうと?

この見事な神輿を満足に担げるのか・・・。歩きだしたら即土台ごと破壊されるのでわ?

とはいえ、キングレコードも「ジーザズ」を無難に仕上げたことだしコレもいけるかとプレイ開始。

システム

システムはコマンド選択型のテキストアドベンチャー。なんだキングレコードなのに普通だなと思ってたらなんか不可思議なシステムを強要してきた。 やはりだ。

人と話すときになぜか画面が切り替わり、このような移動モードに。 そして対象者のところにわざわざ歩いて接してから話すという...。

あ、足が・・・遅い・・・。 なんなんだ。

プレイ開始直後はこれにもなにか意味があるのだろうと別段気にも留めずプレイを続行した。

しかし捜査が進めどもいっこうにこの移動モードによる劇的な変化、革新的な何かを感じる機会が訪れない・・・。

「ただ、話すだけやん!」

やがてエンディングへ。

「一体なんだったんだ。これは?」 人間、一つ気になることが出てくると続々と出てくるものだ。

新たな疑惑、それは画、わたせせいぞう とあるがなにかがおかしい!

ここで一点の絵の・・・ある部分に目が留まる。

赤川次郎 駅長

駅長の足が不自然だ・・・。 せめてホウキで掃除でもしてる姿とか・・仕事してる姿を選ぶのでは?これではどこか待ち合わせで退屈してそうな女子高生のポーズではないか。「彼、遅いわね」なんてセリフがピッタリだ。プロの絵描きがマジメな駅長を表すのにこんな油売ってそうなポーズを選ぶだろうか?

画はわたせせいぞうを謳っているがどうもいくつか・・・いや!けっこうそうじゃなさそうな画面をいくつも目の当たりにする。これは怪しすぎる。

グラフィック

グラフィックが普通のアドベンチャーと比べるとはるかに大きい。

当時の雑誌を見た限りそれがウリのようだが・・・。デカけりゃいいってもんじゃない。

ユーザーが求めているのは質だ。

サスペンス的なノリが多い推理アドベンチャーにミステリアスな雰囲気が一切感じられない 当時はわたせ氏の起用に一抹の不安を覚えたもの。

「合うのかなぁ」などと。

わたせ氏の絵は洗練された都会チックな絵が特徴。この作品の舞台のような寂れた田舎にミスマッチでわ?

プレイしてみるとそれは全くの杞憂に終わる。

・・・のだが別の問題が。

ちなみに管理人はわたせせいぞう氏のコミックを所持しており、ワリとファンだったりする。

そのせいか「あれ?」と思うような場面に気づきやすいのかもしれない。

上の画像はわたせせいぞうの画のようだ。後ろの木々もしっかり縁取られているのがポイントだ。・・・だが、しかし!

シナリオ

原作が赤川次郎なだけあり、題材が面白い。わずか一駅の間に8人が忽然と消えてしまったというミステリーが興味をそそる。

「どうやって?そもそもだれが?何のためにそんなことを?」

捜査を進めるうちに見えてくる背後関係などこの手が好きな人にはたまらないものがある。

途中詰まる箇所も出てくるがなんとか自力でクリアはできる。

攻略はみないほうが楽しめるけど行ける場所が多いせいか詰まりやすいかもしれない。

多分、ゲーム後半、切符を手に入れてからの商店街の聞き込みで詰まることになるだろう。 普通のアドベンチャーだとフラグが立つと音楽が鳴ったり違う反応が返ってきたりして気づかせてくれるものだが後半の聞き込みではそれがなかった。

この車両の画像についてだけど・・・これはまぁわたせ氏のモノと思っていいかもしれない。パースが自然だ。まぁいいだろう。

音楽

音楽はドラクエのすぎやまこういち氏。もしこのゲームの音楽に違う人が担当していたら駄作だったかもしれない・・。オープニングの曲が情緒があるし、なんといっても裏山の音楽の開放感がすばらしい。

詰まったときにここの音楽を聴きながら街を眺めると「よし、がんばろう」って気になる。

場面に応じた音楽でプレーヤーの心を揺さぶってくるのがいい。明るい曲もいいが終盤、核心に迫った時の曲もかなり効果的だった。

それはともかく・・・この裏山の画面、これをプレーした人ならだれでも「あれ?」と思ったことだろう。この画像には決定的におかしな箇所がある。

おかしな場所をピンクで示してみた。このエリアに描かれた建物のパースが他のエリアと違いすぎるため、もはや異次元空間と化しているのだ。

プロが描いたとはいえない。これでもまだかの巨匠、わたせせいぞう先生の絵というのでしょうか?素人が描いたことは明白。

確固たる物的証拠が出た。タイホだな。キングレコード。

興味をソソる謎

このゲームの良さは題材にある。8人がいっぺんに消えるという謎が興味をそそられる。

グダグダなシステムでも「それだけは解き明かしたい」というモチベーションからプレイしたくなる。

あと、いきなり現れる助手の女の子がいい。この助手とのやりとりが面白いおかげで全体的に明るく、ダレルことなくプレイできるのもいい。 ・・やはり名作だ。

コマンドの階層が浅い

システム的に唯一の救いは聞き込み時のコマンド。

  • 「聞く」→「りょうしゅうしょ」
  • 「聞く」→「町長」

など、人であろうがモノであろうが特に分けることなく一まとめ、変に階層化されてなく、並列的に並んでいる。なので一発回答だ。したがってコマンド選択が楽。

これの対極にあるのが「京都龍の寺殺人事件」のコマンド選択。

「聞く」→ だれに? → 「Aさん」→ なにについて? → 「人」 → 「....(イライライラ)」仕事じゃないんだからこんな堅苦しい手続きのような煩雑なコマンド入力を強いる。

たった一つの事を聞くのに何回も選択する必要があるようなアドベンチャーは駄目。このゲームにはそれは無い。

望遠鏡?

ちなみに「望遠鏡」と言いながら
表示されるのは指先だ!

「望遠鏡」は「しらべる」で選択肢の中にでてこない気になるポイントを直接調べることができるコマンド。

このゲームは行ける場所が多いため、案外詰まりやすい。

なので「どこか「望遠鏡」で発見できる「手がかり」があるのでは!?」だれしもが思う事が予想される。

狭い町だけど訪れるシーンはけっこう多い。おまけに画面が無駄にでかい。

それを「望遠鏡」でチマチマ調べていたら・・・・ユーザーにこういった苦痛を与えるのはどうかと。配慮に欠けると思われても仕方がない。

「望遠鏡」は裏山だけにすべきだったように思う。

やはり名作というには早計だな・・・。

 

画面内移動モードは必要だったの?

なぜこのモードを採用したのか理由を知りたい。自分のキャラを動かさなくても「調べる」ことができるし、「望遠鏡」を使っていろんな場所を調べられる。スクロールして移動範囲が広がるわけでもない...。

人に接触して「聞く」「見せる」をするだけ。では画面内に複数の人がいて、それぞれに聞いたりするんだろうと思ったら一画面内で聞き込みできる人は一人だけという・・・・意味がわからない。しかもこういったゲームは人に対して聞き込みを何度もするもの。

いちいち人に接触させるべく十字キーで動かして聞くのはしんどい。・・・っていうほど長い距離を歩く必要はないのだが・・・やはり無駄だ。

しかも移動を前提にしているせいかすべての画面構図がなんだか不自然。構図が一定しているとドラマチック性に欠けてしまう。

名作どころか駄作じゃないか! いや待て、チャンスを下さい。

 

ゲームはシステムではない、中身だ。 そういう人なら。

総評

赤川次郎の幽霊列車
1991年2月8日キングレコード

意図がよくわからないシステムが気にならなければかなり楽しめる作品になっている。なんだかんだいいながらもう3回はクリアしたかな。エンディングがいい。



→キングレコードが採用したかったシステムを完成させたアドベンチャーゲームはこれだろう。その名は「PCエンジン、金盞花・・・

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